AIが当たり前の時代となり、これからの社会で必要とされる人物像も大きく変わりつつあります。偏差値の高い大学を出れば就職で優遇される時代は終わりを迎えました。学歴に関係なく、新たなビジネスを生み出す人材の確保が企業の採用の最大の要件だそうです。
教育の役割が大きく変わり始めている中で、新しい時代に必要な「学びの場」で何がおこなわれ、子どもたちが何を感じているか。
「静岡カップ」の事例を元に「教育の意識改革」について書いてみたいと思います。
筆者:山下由修
- 静岡市内小・中学校で勤務 、清水江尻小学校校長として、県内初のコミュニテイ・スクールの創設・運営
- 大里中学校校長として、フレックス制勤務体制の確立、校内フリースクールの開設、プロジェクト型校内組織運営に着手
- 2019一般社団法人シヅクリを創設、静岡を人材育成に奔走中
※一般社団法人シヅクリ
『シヅクリ』という名前は、「子」ども成長、教「師」・大人に成長、高い「志」、「静」岡の未来に尽力したいという思いを込めています。
シヅクリプロジェクトに関わる全ての子どもたちや先生方、地域の方々が、自分の本当に大切にしたいことを真ん中に置いて、皆で地域の未来を創造することを目指しています。
「静岡カップ」に見た未来
「静岡カップ」は、静岡県内の中高生による学びの合同発表会です。
生徒たちが半年間に渡り、「総合的な学習(探究)の時間」の中で、地元企業のリソース(魅力・強み)と地域のリソースを掛け合わせて、世の中に存在しないイノベーションプランを考え出すという取り組みです。
2023年1月21日におこなわれた「静岡カップ」では、静岡の企業20社と連携し22校合計3,000名の中高生がプログラムに取り組み、学校や学年を超えたプランの最終発表をおこないました。
当日は、DJのケチャップさんが軽快に会を進行していきました。
「ここまで取り組んできたことが素晴らしいので、プレゼンの今日の出来なんて気にすることはない!」と生徒たちを鼓舞します。
伴走する地元企業は精一杯の応援メッセージを贈ります。
会場全体が心地よい緊張感に包まれ、生徒たちのパフォーマンスは熱を帯びていきました。
今まで誰も思いつかなかった新しい可能性。
人の心を揺さぶる意外性や大胆さ、現在の非常識が未来の常識に変わっていく瞬間、社会に新しい価値を生み出す提案、「未来がはじまる足音」が聞こえてきました。
この子たちと一緒に創る未来は、きっと明るく、希望に満ちたものになるだろうなあと涙が止まりませんでした。
グランプリの表彰が終わった時のことでした。
「みんな隣を見てごらんよ。その仲間がいなかったらここに座ってないよね。その先には全力で君たちを支えた企業の人たちがいるだろ。後ろにはそっと君たちを見守ってくれた保護者の皆さまがいるだろ。君たちは一人じゃない。この会場のみんなが手をつなぎ、肩をくんだのなら、きっとその先に素晴らしい未来が待っているはず。さあ、全員ステージに上がっておいでよ。」
周りの大人にハイタッチで背中を押された生徒たち、皆が笑顔で集ったその光景はまさに未来そのものでした。
「静岡カップ」終了後の感想
- いろんな人がいて緊張したけど、なんかすごい感動した。これからもこの会を忘れずに夢に向かいます。(生徒)
- 毎時このメンバーで良く分からない会話をして、企画を考えて、時間が余ればまたしゃべって、そんな授業が楽しかったです。協力して一つの物を作り上げる大切さがわかりました。(生徒)
- 宝です!!感動!!最高!!感動をありがとう!!たくさん泣きました・・・。(企業人)
- 最高でした!大人になると忘れかけていた素直な表現やストレートな思い、再び湧き上がってきました。(企業人)
- 静岡の明るい未来がたくさんイメージできました!ワクワクしてきました!(保護者)
- キラキラと輝いている姿を近くで観られて、胸がいっぱいです。(保護者)
- 私たち大人も負けてはいけません。子どもに希望を見せられる、そして一緒に夢を実現していける大人として、再出発しよう!そう思える時間となりました。(教師)
- 子どもの発想や可能性を認め合える夢のような会でした。(教師)
教育の意識改革とは?
明治維新から150年、教育は新たな形に姿を変えようとしています。未来を生きる子どもたちを真ん中に置きながら、多くの人々がつながり、そこに集う人々が自身を成長させていく役割が教育に託されているのではないでしょうか。
そのために、教育分野では以下のような意識変革が必要であるように思います。
- 親と学校で子どもを育てなくてはならない。
→子どもは社会全体で育てるべきである。 - いい子にしつけるべきだ。
→子どもはありのままで天才だ。 - 学歴が子どもの将来にとても重要だ。
→「普通」になる必要はない。 - 新しい時代を生き抜く知識を親や教師が子どもに教えなくてはならない。
→それぞれの「普通」ではない個性を伸ばすことに心がけるべき。 - 親や教師は自分の心を押し殺してでも責任を果たすべき。
→子ども目線での発見は、時として親や教師を大きく成長させてくれる。
自分は、カッコイイ大人になれている?
「静岡カップ」を通して、子どもたちからどんな未来がやってくるのかを教えてくれたような気がしました。
奪わなくても与えることで成り立つ社会。
全ての人の尊厳が認められる社会。
誰一人取り残さない社会。
そんな社会の実現が可能なことを彼らは疑っていません。そんな持続可能な社会の実現のために彼らは生まれてきたのかなと思いました。
子どもたちは紛れもない未来からの留学生です。
子どもは「未熟な大人」ではありません。彼らの中に大事な「コア」が存在していて、瞬時に本物を見抜く目を持っています。
今の私たちは、目の前のことだけにとらわれていないでしょうか。
今の私たちは、誰かのせいにしてあきらめの人生を送っていないでしょうか。
子どもたちは見ています。子どもたちは感じています。
生きる力は「探究し続ける大人」に感化されて育ちます。
自らを育て、本当に価値のあるものを見つけ出し、自分自身をアップデートしながら。
私自身も社会の一員として行動する「カッコイイ大人」になりたいと思った一日でした。
文:山下由修
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