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ネット環境や物流網の整備、コンビニの発達などによって、私たちは他人と関わらなくても生きていけるようになってきました。それは便利な反面、1人で生きていかざるを得ない状況も作り出しているのではないでしょうか。
こうした中で、私たちは何を大切にして生きていくべきかを孫と高校生の話から考えてみました。

一般社団法人シヅクリ 代表 山下由修(やました・よしのぶ)
静岡市内の小・中学校で勤務した後、市立清水江尻小学校の校長として、県内初のコミュニティースクールを創設、運営。また、市立大里中学校の校長を務めながら、フレックスタイム制の導入や校内フリースクールの開設、プロジェクト型の校内組織運営などに着手 。2019年、一般社団法人シヅクリを創設し、静岡を拠点に、人材育成に取り組んでいる。
孫と私の砂場での話
ある穏やかな昼下がり、孫を近くの公園の砂場に連れていきました。夢中になって砂場で遊ぶ姿をベンチに座って見守っていると、孫は時々こちらの存在を確かめるように振り返ります。きっと、近くに私がいることによって安心するのでしょう。
孫が砂場に砂山を作って、自信満々の顔をして戻ってきました。私は手を引かれ、自慢の砂山に連れて行かれました。その後、2人でその砂山の両サイドからトンネルを堀り進め、トンネルが開通し、私と孫の手と手が触れ合った瞬間、同時に歓声をあげてしまいました。彼女の満面の笑みと高笑いには、達成感があふれていました。
そうこうしているうちに、孫は隣の子が作っていた砂山が気になり始めたようです。砂山の高さ、トンネルの数……それを羨ましそうな顔で眺め、葛藤しているような表情を見せた後、ついに言葉にしました。
「一緒にやろう」
「いいよ」
私と孫の間に、友達が入ってきた瞬間です。これによって、次のステージが始まりました。
ある高校生の話
ある高校を訪ねた日の休み時間のことです。その高校は、中学校での集団生活になじめなかった生徒が多く通う学校でした。
校舎の2階から外を眺めていると、通りを挟んだ歩道を園児の集団が歩いていました。赤い帽子と緑の帽子をかぶった子どもたちが手をつないできれいに整列して歩いています。きっと年長さんが年少さんの手を引き、先生の指示のもと公園にでも向かっているのでしょう。
その時、隣にいた男子高校生との会話です。
私「かわいいねえ」
彼(少し時間をおいて、小さな声で)「僕はあの列には入れなかったんです」
私「そう。どこを歩いていたの?」
彼「道を挟んだ、こちらの歩道ですかねえ」
私「少し寂しさもあったのかな」
彼「はい。でも、母がいつもそばにいてくれました」
私「お母さんに感謝だね。でも、道の反対側を歩いたからこそ、君にしか見えない景色かあったんだろうね」
彼「自分も何かチームのためにできることありますかね……」
この高校では、総合的な学習(探究)の時間を使って、生徒たちが「地元企業のリソース」と「地域のリソース」をかけあわせ、チームでイノベーションプランを考えるプログラムに取り組んでいました。
彼は、この数か月後、誰もが想像すらできない、アプリを制作し、チームの歓喜の渦の中心にいました。
人との関わりが転換期
2つの話に共通するのは、人との関わりが人生の転換期だということです。
人間は過去の経験を糧として、数年後、数十年後の未来を思い描いて努力を積み重ねていきます。つまり、人間は過去・現在・未来という連続した時を生きているのです。
そして、そうしたプロセスの中で、心を通わせる人と出会い、自分の人生を豊かなものにしていきます。その時々で、「大切にしていること」「夢中になっていること」「やりたいこと」を言葉にすることで、関わる人々とともに自分の人生を進化させていくのです。
私に見守られ、達成感を味わい、友達との交流した孫も、母親に支えられ、人の言葉に耳を傾け、チームの一員として、自分らしさを爆発させた高校生も。どんなに「個別化」が進む現代社会でも、私たちの人生は人と人との間で作られており、人は人の間でしか人間になれないことを改めて感じています。
文:山下由修
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