プロ野球公式戦が開幕 ドラゴンズ「強竜」復活へ

プロ野球公式戦が開幕 ドラゴンズ「強竜」復活へ

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この記事は「中日こどもウイークリー」で2025年3月8日に掲載された記事を転載しています。


プロ野球の公式戦が開幕しました。セ・リーグとパ・リーグの両リーグの優勝争い、お気に入りの選手の活躍など、楽しみがいっぱいですね。中でも注目は近年、低迷が続いている中日ドラゴンズです。かつての「強竜」のように復活できるでしょうか?

3年連続最下位 新監督と奮起!

中日は2024年シーズンまで3年連続で最下位に沈みました。球団史上初めての残念な出来事。熱心に応援しているファンを悲しませてしまいました。

「試合を見ても負けてばかりでつまらない。もうドラゴンズファンなんてやめちゃおっかな」。そう思っている皆さん、ちょっと待ってください。今シーズンの中日はちょっと違います。

最大の変化は、井上一樹新監督(53)の誕生です。立浪和義さん(55)から監督のバトンを渡されました。

最大の変化は、井上一樹新監督(53)の誕生です。立浪和義さん(55)から監督のバトンを渡されました。井上一樹監督

井上監督は1990年、鹿児島商業高校からドラフト2位で中日に入団し、2009年の引退まで通算1215試合に出場。勝負強い打撃で、チームの勝利に貢献しました。

感情豊かなプレーでファンの支持を集め、明るく朗らかな性格でもチームのムードメーカーとして長年、厚い信頼を得てきました。

現役引退後はコーチ、2軍監督など、指導者としての経験を重ね、今シーズンから1軍監督の重責を担うことになりました。

キーワードは「喜怒哀楽」

「みんながプライドを持ち、胸を張ってドラゴンズの帽子をかぶれるようなチームを目指す」と井上監督。チームの理想像を力強く語ります。

キーワードは「喜怒哀楽」。試合に勝てば思い切り笑い、負ければ悔しさを隠すことなく怒り、もっと悔しければ涙を流す。「あふれる感情はありのまま表し、一投一打に全力を尽くす姿を示してこそ、ファンから応援してもらえると信じている」と言い切ります。

チームは2011年を最後にリーグ優勝から遠ざかり、近年は苦しい戦いが続いています。3年連続の最下位から心機一転、再建を託された指揮官は「チーム全体が1段、2段とステップを踏みながら成長し、自分たちを覆っていた硬い殻を打ち破っていこう」と奮起を誓います。

新戦力も大きな力に

低迷しているチームを復活させることは簡単ではありません。でも決して不可能ではありません。

その理由は有力な新戦力の存在です。2024年10月のプロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)で、中日は4球団による抽選の末、金丸夢斗投手(22)を獲得しました。

当たりくじを引き当てた瞬間、力強く左腕を掲げて喜びを表現した井上監督のガッツポーズを覚えていますか? 順調なら、年間10勝以上が有力視される即戦力の加入は、投手陣全体の士気にも影響するかもしれません。

新たな守護神・松山投手

2024年、59試合に登板し、「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得した松山晋也投手(24)も注目の1人。松山晋也投手

2024年、59試合に登板し、「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得した松山晋也投手(24)も注目の1人。入団3年目の2025年シーズンは、勝ち試合の最後を締めくくるリリーフ「守護神」としての活躍も期待されています。

4歳離れたお兄さんの影響で、小学2年生の時から野球を始めた松山投手。「夢中でボールを追いかけていました」と当時を振り返ります。

甲子園を夢見るごく普通の野球少年だった松山投手に、最初の転機が訪れたのは高校3年生の夏です。青森大会2回戦で満足のいかない投球の末に敗退。「もっと自分自身を突き詰めて練習していれば」と後悔したそうです。

「負けたままでは終われない」と野球を続ける決意を固め、地元の大学に進学。「高校ではがむしゃらにボールを投げていて、結果を出せなかった」と反省し、力任せではない合理的な体の使い方の習得に努めました。

4年間の練習の成果は明らかでした。スピードもコントロールも着実に向上。大学卒業後の進路が注目されるまでに成長しました。「実績がなかったから、誰も僕がプロに行けるとは思わなかったはず。でも僕だけは本気でプロに行くと思っていた。自分の可能性を信じていた」

2022年秋、有望な選手の獲得権を決めるプロ野球のドラフト会議。松山投手は中日から育成選手で1位の指名を受けて入団しました。

出場できるのは2軍の試合のみ。背番号は3桁。契約金はなく、年俸は1軍の試合に出場できる支配下選手より低いことがほとんど。さまざまな面で厳しい条件の育成契約。松山投手は「必ず結果で見返してやろうと誓った」と力を込めます。

松山投手の誓いは実現しました。松山晋也投手

松山投手の誓いは実現しました。1年目途中に支配下入りを果たすと、先発投手から試合を引き継ぐ「中継ぎ」の柱として大活躍。2年目はさらに充実した投球で実力を十分に発揮しました。

「今の自分があるのは高校3年の夏の後悔と、育成指名の悔しさがあったから」と語る松山投手。「今シーズンも反骨心を糧に、全力で投げ抜きます」と約束してくれました。

松山投手からファンの皆さんへひと言

野球ができることは当たり前のことではない。そう思っています。けがをしたり、障害があったり。家計が厳しくてできない子もいます。僕は父と母に無理を言って、大学に進学させてもらいました。あらゆる点で両親のおかげだと感謝しています。

野球ができない子も、もし野球ができていたら本気で取り組んでいたはず。だから、僕も本気でやらなくてはいけないと思う。これからも持てる力で、全力を尽くしたいです。


この記事は「中日こどもウイークリー」で2025年3月8日に掲載された記事を転載しています。

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