カンタさん
高校3年生。愛知県弥富市出身。小5〜中3まで不登校。小5からフリースクールに通う。ポーカーが得意。
メユさん
高校3年生。名古屋市出身。小5〜中3まで不登校。中1からフリースクールに通う。ゲーム・アイドルが好き。
今は言語化できる、不登校の原因
・不登校の理由は子ども本人もわからない
・表現できないことがある
――まずは学校に行かなくなった頃のお話を聞かせてください。なぜ不登校になったと思いますか。
カンタ:僕は小5の夏休み明けくらいから、学校に行けなくなりました。担任が新任の先生で、まだ学級運営に慣れていなかったのか、常に怒り声をあげている状況でした。 クラスの友達も悪ふざけをやめなくて、僕はいつもハラハラしていたような気がします。何度「やめようよ」と言っても、まるで意味がなくて……。
僕個人が叱られる場面は一切なかったのですが、周りの友達やクラス全体が常に怒鳴られている状況が耐えられなくなっていきました。 今考えると、それまで自分はあまり怒られたことがなく、怒られ慣れていなかったんだと思います。家で親に多少注意されることはあっても、家の外で大きな声を上げられた経験は皆無でした。
それに加えて、周りから自分がどう見られるかも気になるタイプなので、友達に対して自分がどう振る舞うべきかが分からなくて、勝手に困ってしまったんだと思います。
メユ:私は友達関係のトラブルが原因です。小4の時、不登校気味のAちゃんに好かれて、周りや先生から、「メユちゃんはAちゃんと仲良くしてね」と仕向けられ、Aちゃんとばかり付き合うようになっていました。他にも、男の子とよく遊んでいたので女子から「男好き」だと言われたこともありました。
5年生に進級すると、Aちゃんとは違うクラスになり、男好きだとからかう子たちとも別れて、正直ホッとしたのですが、今度は誰とどんな風に友達になったら良いのか分からなくなり、パニックになってしまったんです。 自分もAちゃんに依存していたのだと思います。その関係がなくなったことと、それまでの精神的な負担から一気に辛くなってしまいました。
――「学校に行けない理由がわからない」という親子も多いと思います。
カンタ:僕も当時はこんなに明確に説明できなかったと思います。担任の先生も個人的に話すととても優しくて良い先生でした。自分の気持ちを伝えると先生を責めてしまう気がして、学校に行けない理由を話すことが出来ませんでした。でも時間が経って成長したことで、冷静に振り返れるようになりました。 もし、子どもが学校に行けない理由を答えられなかったとしても、責めたり焦ったりせずに、まずは辛い気持ちに寄り添って欲しいですね。
力になった、親の関わり方
・「学校に行け」と言われても行けるようにはならない
・見守っている姿勢が子どもの安心や自信につながる
・生活のサポートがうれしい ・子どもを信じている気持ちは伝わる
――不登校になって、家族とはどう関わってきましたか。
メユ:最初は結構地獄でした。私は五月雨登校(学校に行ける日と行けない日がある状態)から不登校になっていったのですが、最終的には自分の部屋から出られなくなってしまったんです。ちょっとした外出も出来ず、過呼吸のようなパニック発作も出て、医療機関を受診すると不安障害だと診断されました。
父が「学校行け!」と言ってくるので、急いで押し入れに隠れたり、そうかと思えば「お母さん毎日泣いてるぞ」と伝えてきたり。1年近く外出できませんでしたし、両親とまともに話すことも避けていました。
でも、両親は話し合って私への向き合い方を考えてくれたようで、学校へ絶対に行くように言われることはなくなりました。 さらに、当時、夜勤があって、昼間は家にいることもあった父が、小さなことで私を誘って連れ出してくれるようになったんです。ちょっとした散歩や、少し遠出のサイクリングなど、たわいもない外出ですが、気分が和らぎました。
そのうち、「学校はいいから、まずは太陽浴びろ」と言われるようになりましたね。家族が、不登校だからといって私を隠すようなこともなく、買い物やプールにも連れていってくれて救われました。
後にフリースクールに行き始めてからは、母が毎日お弁当を持たせてくれたり、私がやってみたいことがあれば全力で応援してくれたり。どんどん家族の関係も良くなっていったと思います。
カンタ:僕は学校に行かなくなった当初は「絶対に行きなさい」と言われ、車で学校まで連れていかれることもありました。でも、不登校から3ヶ月後、比較的早くフリースクールに通い出したことで、登校を強いられることはなくなりました。一貫して「カンタは大丈夫でしょう」と言って信じてくれたので、僕も自分自身を信じることが出来たように感じます。
――普段の生活を大切にしたり、子どもを信じてくれたり、そういう家族の姿勢が力になったんですね。
カンタ:不登校期間の思い出なんですが、大好きなバンドが解散ライブを九州で開催することになって「行きたいな」と思っていたんです。でも、飛行機で行く距離なので、1人で電車にも乗ったことがない自分には、無理だと諦めていました。そうしたら父が「夜行バスで行ってみたら?」と。バスなら行けるかもと思い、1人で九州へ行ってライブを見ることが出来ました。 親がとことん自分を信じて、励ましてくれたことで「何でもやれば出来る」という大きな自信を得られました。
フリースクールでの生活
・学校以外にも、それぞれの子どもに合った居場所があるかもしれない
・公立の教育支援センターは無料、一定の条件を満たせば在籍校の出席扱いとなる
・テストだけを学校で受けることもできる
――フリースクールではどのように過ごしていましたか。
カンタ:教務主任の先生が紹介してくれた、弥富市教育支援センター「アクティブ」に通っていました。フリースクールは不良が集まる怖い場所、という間違った認識があって恐る恐る顔を出してみたんですが、先生がとても優しいおじいさんで、子どもたちみんなでのんびりボードゲームなんかをしていて、すぐに馴染めそうだと感じました。
小学生から中学生まで、幅広い年齢の人が集まっているのも、なんだか良いなと思って。自転車で3kmの道を毎日通って、当時ぽっちゃりしていた体型もすぐに引き締まりました。
メユ:私も小学6年生くらいで、名古屋市教育支援センター「フレンドリーナウ」を教えてもらって見学に行きました。でも、人数が多くて馴染めそうにないと思ったのと、毎日は通えないと聞いて、その時は通わなかったんです。
中学校1年生の冬に、今度は別の場所にある「フレンドリーナウ」を見学すると、こぢんまりとして良いなと思いました。カンタくんと同じで、その場所の先生もおばあちゃんで、優しそうだと感じたんです。毎日通うこともできたのですが、まずは週2、3回通うことにしてみました。教室では同じゲームが好きな子とすぐに仲良くなり、通うのが楽しみになりました。
――フリースクールで学習はしていましたか。
カンタ:僕はYouTubeの動画を見てポーカーにハマって、プロのポーカープレイヤーの存在を知って憧れるようになりました。そこで確率の勉強を始めると、数学を勉強したくなったんです。少し勉強をしてみると面白くなって、話すことも好きだから国語もやってみようと思いました。
さらに、せっかく勉強しているのだから、力試しをして成績をつけてほしいと思い、テストの日だけ学校に行って決めた科目だけを受験しました。国語は良い点数を取れることもあり、うれしかったですね。
公立のフリースクールに通うと、学校出席として認められますが、成績はつかないんですよね。だから学習の成果としてテストを受けて、成績もつけてもらえたのは励みになったと思います。
学校復帰で難しいことは?
・学校に戻りたいという気持ちと、行けない気持ちで揺れている
・行事への出席は、心理的ハードルが高い
――カンタくんはテストを受けに学校に行くこともあったようですが、不登校中の学校とのつながりは、どんな感じだったのですか。
カンタ:何度か学校に行こうとしたこともありました。でも「久しぶり」と言われるのが嫌で、復帰できませんでしたね。修学旅行も悩みに悩んで行っていません。進学や進級のタイミングの4月はフリースクールも休みになっていて、学校への復帰を期待している部分もあったみたいです。中学の入学式は出てみたものの、友達もおらず、不安になってすぐにフリースクールに戻りました。
メユ:私は「久しぶり」と言ってみんなが気にかけてくれるのが結構好きで、苦にならなかったんですが、野外学習も修学旅行も葛藤の末、行きませんでした。でも、どういう流れだったのか覚えていないのですが、同級生たちの見送りと出迎えだけはしたことが心に残っています。
その後、中学校進学の時点で復帰したいと思ったのですが、勉強に全くついていけず、友達も出来ず、5月の時点で無理だと思ってしまいました。その後、フリースクールに通うようになったので、親も少し安心してくれたと思います。
不登校の高校進学のリアル
・中学校やフリースクールは進路の相談にも積極的に対応してくれる
・オープンキャンパスでスクールの雰囲気を確かめることはマスト
・通信制、通信サポート校など、高校進学の進路選択範囲は比較的広い
――今は高校に進学されていますが、どうやって志望校を決めて受験したのか、教えてください。
カンタ:中3になって、もう1つ民間のフリースクールにも足を運ぶようになったのですが、それが今通っている通信制高校の中等部(中学校相当)でした。通信制高校にあまり良いイメージを持っていなかったのですが、オープンキャンパスを見学して、イメージが変わりました。明るく伸び伸びした学校の雰囲気が分かって自分に合いそうだと思ったので、より生徒数の多い系列の通信制高校を志望することにしました。
今まで小5から5年間、フリースクールの少人数のメンバーの中でやってきたので、これからはもっとたくさんの人に会ってみたいと思ったんです。学力試験はなく、面接でクリスマスイブに合格通知をもらいました。
メユ:カンタくんはスゴいなあ……。私は将来に向かい合うのが怖くて、「進路どうするの」という親や周りからの言葉を無視していました。中3になれば、誰もが進路に向かって歩み始めますが、本当に何もしていなかったんですよね。でも両親からは「就職先の選択肢が狭まってしまうから、高校には行ってほしい」と常々言われていました。
3年生の11月、3者面談でもらった今通っている学校のパンフレットを見て、一気に「高校に行きたい」という気持ちが高まりました。私もJK(女子高生)として楽しんでみたいなあ、と。その足ですぐにオープンキャンパスに行って先生と話してみると、不登校の経緯や私の得意や苦手についてしっかり聞いてくれて、一気に志望度がマックスに!
書類提出まで時間がない中、中学の先生たちが協力してくれて、学校推薦をもらって無事に入学することができました。イレギュラーなスケジュールで対応してくれた学校の先生たちには頭が上がりません。
――2人ともすごく高校生活を楽しんでいるのが伝わってきます。
メユ:体育祭などは系列校が一堂に会して戦うので、大盛り上がりです。カンタくんや先輩と一緒に、町おこしのイベントを立ち上げたことも心に残っています。高校生活が本当に楽しかったので、大学進学を目指して受験勉強中です。不登校の期間は辛いこともあったけど、家族や周りの人の支えで乗り切って、今こんなに前向きに過ごせていることがうれしいです。
カンタ:僕も両親が信じてくれたことや、良いフリースクールに出会えたこと、学校もさまざまなサポートしてくれたことで、大学進学を目指せるようになりました。今しんどくても、それはずっと続かないと親子で信じて、出来ることからちょっとずつ進んでいけば良いのではないかと思います。
最後に
カンタさん、メユさんは、インタビュアーである私たちの目をしっかり見ながら、明るくハキハキと答えてくれました。2人の言語化能力の高さに驚くとともに、まっすぐに夢を語る姿勢はまぶしいほどでした。
不登校と言っても、子どもや家庭、学校ごとにさまざまなケースがあります。「自分もこうしなければ」ととらわれ過ぎることなく、あくまで1つのケースとして、参考にしていただければと思います。
文・聞き手:きずなネットよみものWeb編集部