子連れ地方移住コラム~元新聞記者ファミリーの北海道生活~

子連れ地方移住コラム~元新聞記者ファミリーの北海道生活~

子育てをする中で自身のキャリアや家族との暮らしについて、思い悩んだ経験はないでしょうか。同じような葛藤を経験した1人の父親がいます。新聞記者を辞め、子連れで北海道に移住した松本浩司さんに、地方移住を決めたきっかけやその後の暮らしについて語ってもらいました。

ライター・ゲストハウスオーナー 松本浩司(まつもと・こうじ)
ライター・ゲストハウスオーナー  松本浩司(まつもと・こうじ)

1984年、兵庫県西宮市生まれ。阪神タイガースのファンとして育ち、2008年に中日新聞社に入社。愛知・石川・静岡の各県で、地域の話題や行政、事件などを取材。2018年に同社を退職し、北海道・旭川市へ移住。暮らすように泊まり、ローカルの日常に溶け込めるような「旭川公園ゲストハウス 」を2019年に開業。コロナ禍を契機にライター業を強化し、官公庁や企業の広報媒体執筆、各種メディアの制作、ブックライティングなどを手掛ける。2023年で結婚して10年。子どもは18歳の長男と9歳の次男、7歳の長女(年齢は10月現在)の3人。

モヤモヤの芽生え

雪の上を歩くペンギンに、目の前をすり抜けるアザラシ。家族連れに人気の旭山動物園のそばから、みなさん初めまして。北海道・旭川の松本浩司と申します。

さて、あいさつ代わりに「出身は?」と聞かれる機会は多いですよね。名古屋市に本社を置く中日新聞の新人記者として愛知県の尾張地方に赴任した私も、よく質問されました。この何気ないやり取りは、右も左も分からなかった私に、ある疑問をもたらします。

「この先も転勤を続けて子どもができたら、その子の『地元』はどこなんやろ?」。取材先のみなさんは、「地元」のため心血を注ぐ人がほとんどです。私は自分の将来を重ねて想像し、ぼんやりと不安を抱きました。

仕事のやりがいは十二分にあった一方、「自分は当事者じゃない」というもどかしさも。記者は客観的な立場に立って伝えることが原則なので、取材相手と同じレベルでは、苦悩や感動を共有できません。みなさんの思いを吸収するたびに、「地域に根を下ろしたプレーヤーになりたい」という欲求が深まりました。

根無し草のまま、第三者的な仕事を一生続けるのかどうか。モヤモヤの芽生えです。

「出前授業」をする記者時代の筆者「出前授業」をする記者時代の筆者

そんななか、特別な出会いがありました。2023年に長久手市長を勇退した吉田一平さんとのご縁です。吉田さんは当時、幼稚園から特別養護老人ホームまでが雑木林の中に集まる「ゴジカラ村」を作っていました。ポリシーは「混ざって暮らす」。面倒なことを大切に、急がない。世代や障害の有無を超えて集うと、1人ひとりの役割が見えてくる――。この豊かな哲学は、私のど真ん中に据えられました。

そうだ、ゲストハウスをやろう!

やがて私は転勤と結婚を経て、養子縁組した長男と3人で、石川県で新しい生活を始めました。石川県で次男を授かり、次の赴任地の静岡県では長女が誕生。家族が増え、モヤモヤは強くなっていきます。

知的と身体の障がいのある長男は、結婚からほどなくして腎臓移植を受けることになりました。名古屋の日赤病院の医師は「腎臓の寿命がこの子の寿命になる。移植は1回では終わらない。それでもやるのか、よく考えてほしい」とのこと。何十年にも及ぶケアやリスクに向き合う覚悟があるか、という問いでした。入院中、次男を瀬戸市の妻の実家に預け、私は石川県から毎週通いました。「単身赴任は無理やわ」と悟り、仕事と暮らしを分ける難しさを思い知ったのです。

静岡県時代は事件事故の取材を担当し、生活が不規則になる場面がありました。命が突然失われる不条理も目の当たりにし、自分の家族に置き換えてもだえることも。そして毎日「過去最高」のかわいさを更新してくる子どもたちを見ていると、やはりモヤモヤするわけです。「明日死ぬかもしれないのに、このままでええの?」と。

好きな土地に根ざし、プレーヤーとして「混ざって暮らす」を実践したい。そう思って人生を振り返ると、高校時代にたどり着きました。旅行が好きで、受験勉強そっちのけで熱中。果ては学友32人を連れ、北海道のユースホステルを巡る「卒業旅行」をプロデュースしました。人との出会いこそ旅の醍醐味。そして肩書きや看板のない若造でも熱量さえあれば、大人も動いてくれると知りました。以降、足しげく北海道に通うことになります。

高校時代の卒業旅行で訪れた屈斜路湖高校時代の卒業旅行で訪れた屈斜路湖

この原点を思い出した後、「そうだ、北海道でゲストハウスをやろう!」とひらめきました。2018年1月25日の朝、起きたらアイデアが降臨。ゲストハウスは地域に根ざした拠点で、いろいろな人や事業と掛け算しやすいというイメージでした。

子どもを言い訳にするのはダサい

すぐに私の腹は固まりましたが、移住に賛成する人は少数派。寒さが苦手な妻も反対で、「マイナス20℃の中で人間が住むなんて信じられない!」という具合。そこで2月の旭川に行き、「瀬戸の家の中の方が寒い」と体感してもらいました。妻は「愛車を手放したら考えてあげる」とも言ったので、10年乗った「フェアレディZ」を即座に売却。名二環や東海環状道や猿投グリーンロードを意味もなく走った“貴婦人”に別れを告げ、移住への本気度を妻に示したわけです。

静岡県に住んでいた頃の家族写真静岡県に住んでいた頃の家族写真

周囲からは驚かれ、「小さな子どもがいるのに」という忠告をよくもらいました。ただ何年もかけて、モヤモヤの解像度は十分に高まっていたころ。違和感を殺さず積み重ねたので、それを解決し得るアイデアを見つけてからは迷いませんでした。

うらやむ人もいました。ある先輩は「俺もやりたいことがあった。でも子どもがいたからさ……」とポツリ。子どもや家族のことを考えた結果、どんな道になっても全て正解でしょう。自分の意思で納得して選択できるかどうかの話に過ぎません。ただ「子どもがいたから挑戦できなかった」という言い訳はダサい。子どもにも失礼かなと。

モヤモヤが薄まるなら、何かを失ってもいいと思えました。収入、安定、信用はゼロになっても、また増やせば問題なし。失敗しても殺されるわけではないし、自己破産や生活保護という最終手段もあります。

一方で、タイミングは重視しました。次男が小学校に上がる前までに決めないと、動きづらくなりそうで。「子どもが大きくなったら」「仕事が落ち着いたら」と先送りしても、理想のタイミングは永遠に訪れない気がしました。

モヤモヤが晴れそうな根拠の弱い期待に導かれ、私たちは北に向かう準備を始めました。

東北の被災地を回り北海道へ

中日新聞社を退職した2018年10月。移住に向け、ひとっ飛びに北海道に行くのは面白くないので、当時住んでいた静岡県を離れ、車で寄り道しながら北上しました。子どもたちにとっては、ミステリーツアーのようなロングドライブです。東京で恩師にあいさつし、地域と深く結びついて気になっていた宿泊施設で学びながら、東北の被災地を回りました。震災から7年。「子どもたちに何かを感じてほしい」という思いもありました。

八戸港からフェリーに乗り込み、本州ともお別れです。夜明けとともに苫小牧の港に着岸すると、「ついに上陸!」という実感に包まれました。車を走らせると、北海道らしいピリッとした空気と、霜で引き締まった大地に心が揺さぶられます。初めての朝ごはんは、直前の9月に起きた胆振東部地震での「神対応」が全国的に話題になったセイコーマートで。また、この地震の土砂崩れで埋まった地区を訪ねて手を合わせました。

北海道厚真町のセイコーマートで北海道厚真町のセイコーマートで

ゼロからの地方移住生活

狭くてすきま風が吹く旭川のアパートで、地方移住生活が始まりました。スケールの大きな自然や、豊かな大地の恵みが近くにある幸せをかみしめる毎日。ただ、勢いで来てしまった部分もあり、常に不安がつきまといます。

無職で、コネ(地縁・血縁)もなく、お金もわずか。ゲストハウス新築のための融資も決まっていません。金融機関の人には「よく移住できましたね」と呆れられましたが、万策尽きたら、別の道を考えようと自分に言い聞かせました。旭川は人口30数万人、東北以北では第3位の都市なので選択肢はいくらでもあるはずだと。

森の中で木こりと遊ぶ子どもたち森の中で木こりと遊ぶ子どもたち

お金よりもコネがないのはまずいので、1番力を入れたのは人の輪を広げることでした。目標は「1日に1人以上と会う」。会合やイベント、コミュニティーには片っ端から顔を出し、面白い人に面白い人を紹介してもらいました。

失業保険がいくらかあり、妻はパートに出てくれたので、毎日のご飯はなんとか食べられました。「変なやつが旭川に来て、腹をすかせているらしい」と心配され、仕事や食料をいただくこともありました。

それでも地方移住生活が2ヶ月も経てば、人脈とは対照的に財布がやせていきます。「このままでは年を越せない」と、年の瀬に宅配便のバイトをスタート。暖房もない、天然冷凍庫のような構内で荷物を仕分ける仕事です。深夜から早朝まで毎日働きました。長老のようなオヤジにそれはそれは理不尽な扱いを受け、「給料は我慢料だ」と、かつて誰かに言われた言葉を思い出しました。日中は仮眠しながら人に会い続けていたのでフラフラでしたが、この時の経験があって、ゼロから再スタートできた気がします。

松本ファミリーへのサポート

その後は農作業の手伝いや単発のアルバイトなど、なんでもやりました。一般的なフルタイムのような働き方ではなく自由度が高かったので、家族との過ごし方は会社員時代と一変。オンとオフの境界が溶け、とっても心地よいのです。

人に会う時もよく子どもを連れて行きました。森で木こりと打ち合わせする時は、子どもも白樺の皮をはいで火起こしを。トークイベントでマイクを握る時は、子どもも乱入するという感じです。自由に楽しむ子どもたちが、いつも近くにいるのが安心でした。スムーズに受け入れが決まった特別支援学校やこども園は、期待通りのびのびした雰囲気と環境で、親のストレスも和らぎました。

家族の姿をオープンにしていたからか、みなさんは「松本ファミリー」として、新しい移住者を迎えてくれました。本州時代と違って、家族全員で地域に接している手触りが新鮮そのもの。妻は以前「松本さんの奥さん」と呼ばれることが多かったですが、旭川では「茜ちゃん」と名前で呼ばれ、先輩マダムにかわいがってもらいました。こども園の迎えがピンチの時は近所の知人が代行してくれるなど、多くの助けをいただきました。

ゲストハウス開業後、地元の人たちとゲストハウス開業後、地元の人たちと

やがて、各方面からのサポートを受けてゲストハウスの計画は前に進みました。場所は予定通り、小学校や大学がすぐ近くにある住宅街。もともと町内会が独自に管理していた公園で、空き地になっている区画を購入しました。宿泊施設としては、ローカルな日常を味わえる場所に。地域活動の拠点としては、町内会や学校と連携しやすい場所にしようという狙いがありました。

2019年9月にゲストハウスは無事オープンを果たしましたが、その半年後、コロナという厄介者に、仕事も暮らしも翻弄されることになります。

コロナ禍のストレスと「複業」

コロナ騒動は、北海道から始まりました。2020年2月の「さっぽろ雪まつり」直後から道内で感染者が増え、全国に波及した記憶があります。

私たち家族も保育所や学校のドタバタに振り回されましたが、大変なのは障がいのある長男でした。学校に行けなくなり、1人で留守番ができないからです。私の田植えのアルバイト中、軽トラで待たせているうちに脱走。車道を歩いて渋滞を引き起こしました。自宅では5分でも親が不在なら脱出し、日が暮れかけて大騒ぎに。主治医によれば生活リズムの変化が背景の1つだそうですが、「ストレスを見逃さないように」と言われているようでした。

脱走していた頃の長男と長女脱走していた頃の長男と長女

ゲストハウスは開業半年でお先真っ暗な状況でしたが、移住の大先輩の言葉に救われました。「(松本の場合は)ゲストハウスのついでにライターをやるんじゃなくて、ライターがゲストハウスをやってるんだからね!」。森の中でピザ屋さんを開いている男性の金言です。自分の根っこは何かを見つめ直しました。

宿泊業がメインでライター業はサブという位置づけでしたが、コロナ禍でライター業を一気に増やしました。執筆は私1人で完結して家族への負担も少なく、自分のペースで進めやすいのも大きなメリットです。心がけたのは、どれがメインかサブかを固定せず、すべての仕事をパラレルに捉えて柔軟に組み合わせる「複業」です。「副業」ならサブを片手間でやるニュアンスもありますが、「複業」なら等価。「本業をしっかり頑張らなきゃ」という焦りが消え、幸福度の高い「福業」に化けるのです。

地方移住の新しいモヤモヤ

移住して3年ちょっと経つと、「来月どうしよう……」という不安は鳴りを潜めました。車は20万円前後で買った不具合だらけのステーションワゴンから、保証付きのSUVに変わりました。住まいは手狭だったアパートを出て、ゲストハウス近くの中古の戸建てへ。なんとなく、地域住民の1人として根っこが強くなりました。

町内会では会計部長として以前より積極的に参画できるようになりました。学校ではPTA会長になり、2023年度からはPTAという名前をやめ、地域(Community)を加えた「PTCA」に衣替え。義務感や負担感を減らして楽しく続けられるよう、近くの市立大学や地域のみなさんと一緒に動いています。移住前に憧れた「地域に根ざしたプレーヤー」のイメージに、少し近づきました。地域活動ではお互いの顔が見える近さがあり、長久手で学んだ「混ざって暮らす」の真似っこもできています。

PTCA行事の流しそうめんPTCA行事の流しそうめん

一方で、新しいモヤモヤも生まれました。その筆頭は子どもたちが得られる刺激の質量と競争環境です。のびのびするだけでなく、切磋琢磨してほしいと思う場面も少なくありません。私は学校を休ませても、貴重な体験や出会いがあれば出張や旅行に連れていきますし、オンラインや習い事でもインプットの機会は提供しているつもりです。ただ、やはり大都市とは学びのインフラが違います。小規模校の弱点を十分補えている自信はありません。

児童クラブ退会で“働き方改革”

それでも、旭川での移住生活とセカンドキャリアは想像以上に幸せなものになりました。いろんな選択肢がある中から、自分で主導権を持って決められるからです。

ライターの仕事は旭川や札幌発注のもの、リモートによる東京の案件もありますが、乱暴に言えば、選ぶことを大切にしています。顧客や読者のための苦労は喜んでやりますが、無意味なストレスがある仕事は収入が減っても断ります(実際は簡単ではないですが)。

旭川には都市機能も、豊かな自然もあります。ストレスがたまって人に会いたくなったら、まちなかや飲み屋に行きます。癒やしが必要なら、近くの森や川へ。

家族との過ごし方も自分次第です。少なくとも夕食は全員で一緒に食べ、子どもと一緒に夜9時に寝て、未明から仕事するという習慣が基本になりました。これは最高です。夜型の時より体が軽いですね。

最近では、小学生2人の子どもの放課後児童クラブをやめました。預けない選択肢はないと思い込んでいましたが、2人ともストレスを感じていたので勇気を持って退会。在宅ワーク中の私のストレスは一時高まりましたが、「子どもが小さいのは今だけ。仕事はいつでもできるよね」と自分に言い聞かせ、なんちゃって時短勤務です。

家族の近影。近くの「上野ファーム」で家族の近影。近くの「上野ファーム」で

これからの目標は、地域の子どもにとっての選択肢を増やすこと。塾でも習い事でもない、放課後を楽しく過ごせる場をつくりたいです。禁止事項ばかりを集めた「べからず集」に縛られ、決められたことをして時間をつぶすのではなく、例えば生き方が面白い大人の話を聞いたり、大学生に勉強を教えてもらったり、近所のおばちゃんとしゃべったり。「駄菓子屋を兼ねた放課後の居場所をつくろう」と、保護者仲間や教育関係者と妄想しています。

移住して5年。久しぶりに芽生えたこのワクワクが、新しいモヤモヤを打ち負かしてくれるのでしょうか。いよいよプレーヤーとしてフルコミットできそうです。

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