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親子間の悲しい事件が度々報じられることがあります。父や母に対して、またはわが子に対して、そのようにせざるを得なかった無力感に思いをはせながら、「期待する」ことと「信じて待つ」ことについて考えてみました。

一般社団法人シヅクリ 代表 山下由修(やました・よしのぶ)
静岡市内の小・中学校で勤務した後、市立清水江尻小学校の校長として、県内初のコミュニティースクールを創設、運営。また、市立大里中学校の校長を務めながら、フレックスタイム制の導入や校内フリースクールの開設、プロジェクト型の校内組織運営などに着手 。2019年、一般社団法人シヅクリを創設し、静岡を拠点に、人材育成に取り組んでいる。
「待つ」ということ
相田みつをの著書「育てたように子は育つ」の中に、次のような言葉があります。
待ってもむだなことがある
待ってもだめなこともある
待ってもむなしきことばかり
それでもわたしはじっと待つ
はた目には「待つ」ことが無駄に見えるかもしれません。しかし、親子間では、当事者にしか分からない思いや重みがあり、だからこそ、「じっと待ってあげたい」という気持ちが出てくるのだと思います。
信じて待っていてくれた母
私の半世紀も前の忘れられない思い出です。
小学6年生の冬、マラソン大会での出来事でした。当時の私は、長距離だけはなぜか自信があって、連覇がかかっていました。周りも勝手に盛り上がり、ライバルたちが皆、「打倒! 山下」を掲げ、練習しているような状況です。私も高まる緊張感に押しつぶされそうになりながら、早朝に近くの裏山を走って練習に励んだことを覚えています。
大会当日、スタートの合図とともに、私はいつものようにトップに躍り出ました。中間地点に差し掛かかり、いつもなら独走になっているところ、誰かが後ろから付いてくる足音が聞こえてくるではありませんか。私はぐんぐんスピードを上げましたが、一向に足音は消えません。
ゴールとなる校庭が見えてきました。大歓声に包まれながら校庭に入っていくと、小学1年から一緒の大好きな担任の顔が目に飛び込んできました。すっかり気をとられた私は、なんと足を止めてしまったのです。すぐに我に返って走り始めたのですが、後の祭りでした。
そして、その時の後ろからついてくる足音におびえ、ラストスパートの勝負から逃げ出した自分に対してのいらだちとモヤモヤは、半世紀立った今も鮮明な記憶として残り続けています。
さらにもう1つ、忘れられない記憶があります。
大会が終わり、傷ついて帰宅した私を、母はいつものように迎えてくれました。そして、何も聞こうとはしませんでした。
私は、悔しくて、切なくて、自分で叩いて腫れあがった太ももを母に見せました。母は一言も発することなく、手当をしてくれました。きっと母はどこかですべてを見ていたのでしょう。そして、運動場の片隅で手を合わせている母の姿が浮かんできました。
全てを知っていて、ありのままの自分を信じて待っていてくれた母。あの時の少し潤んだ母の目が半世紀たった今も自分を支え続けています。
「期待する」ということ
私たちは近しい関係になればなるほど、「自分の一部」のように錯覚し、価値観を押し付けてしまうことがあります。わが子に対して、勝手に期待をしてしまうこともそうです。
そして、相手が期待通りであった時には喜び、期待外れであれば、落胆するでしょう。つまり、「期待する」ということは、相手の結果によって一喜一憂することになのです。
「信じる」ということ
「信じる」ことは、自分の考え方に関係なく、相手を受容することです。例え結果がどうであっても揺るがないものです。
そして、子どもを「信じる」ということは、「こういう風に人生を歩んで欲しい」と期待することではありません。その子がどんな選択をしたとしても、信じ続けることです。何があっても、どんな事態が生じても、その子の生き抜いていく力を信じて、見守ることです。
また、「信じる」ためには、「その人の存在そのものが尊い」と心から思える感性が大切です。
「信じて待つ」人間に
人は、期待されるとうれしいものです。しかし同時に、その期待に応えようとプレッシャーや緊張感に押しつぶされそうになることもあります。
信じてもらうと心が軽くなります。心にふつふつとエネルギーがたまっていきます。
そして、自分を無条件に信じてくれている人の存在を感じた時、私たちは生き生きと自分らしさを発揮できるようになるのです。
傷心した息子をいつものように待っていてくれた母。何も言わずに目に涙を浮かべていた母。
そんな母の愛に包まれて、私は足音におびえ、逃げ出した自分もまた自分自身であると受け止められるようになりました。
これからは、誰かを信じて待つことの出来る人間になりたいと思うこの頃です。
文:山下由修

